仕事やめるまで何して生きよう

10年後に退職するまでのプライベート録

なんでマスクを着け続ける事になっているか考えてみた

 

 ここまで感染者数が減ってもマスク着用率はそこまで減っていない。

 皆がそれでいい、私は着けたいと考えているのであれば問題はないが、

 同調圧力や我慢、皮膚の炎症に耐えながら着けている人も多いだろう。

 マスクするのは「同調」心理から 同志社大が研究発表 [新型コロナウイルス]:朝日新聞デジタル

 

 結論から言うと、「リスク・リターン」の判断がゼロリスク方向に偏っている

ということではないかと思っている。

 

リスクの大きさを「あえて」無視している政治の動き

 

 新型コロナウイルス感染のリスクの大きさを、行為で分けるとざっくり

 路上飲み・野外ライブ・集団カラオケ>(高リスク)>エアロビクス・飲み会>(リスク有り)>家族内での会話>通勤電車・数人での買い物・ウェイトトレーニング・パチンコ・サウナ>引きこもり

 となるわけで、上を抑え込むことに全力を尽くせばいいが、法律上それは難しい。

 そして、高リスク行為を我慢するために低リスク行動を許す、といった「妥協」を人々に呼びかけるのも、私は立派なコロナ対策だと思う(例:外に飲みに行くならカップルで宅飲みしてくれ/在宅勤務のストレスは酒でなく筋トレで解消してみよう)

 

 にもかかわらず、何故かリスクが低い行動も止めよ!という某都知事などが出てくる始末である。コレは私の推論だが、都知事もおそらく、リスクの大きさなんて知っているのだ。だがリスクをゼロにしなければいけない、いくら小さくても排除せねば、という支持者が多いがゆえに、そんなことをおくびにも出さずそうした主張を繰り返すのである。

 

ゼロリスクは票になるが、経済には悪影響

 そういったゼロリスクを信奉する人たちがどういう人達か、これは属性への攻撃になってしまうのであまり言及するのは良くないが、以下に2つのリンクを掲載したい。ステレオタイプ的だが、男性より女性、中年より老年のほうがリスク回避的である。日本はいずれの面でもリスク回避寄りの人が多いと言えよう。

https://www.jil.go.jp/institute/zassi/backnumber/2014/07/pdf/094-104.pdf

経営者の年齢とリスクテイク行動への意欲 – 後継者育成サービス

 

 誤解がないように言っておくと、リスクテイクをしない、ということは決して悪いわけではない。こんなものは各人の好き好きに過ぎない。だが、行動制限や自粛のムードがGDPへの悪影響を及ぼす以上、一定までのリスクは取らなくてはならない。そしてこうした嫌われる勇気を持てる主体は大企業や二代目政治家のようなリスクの取れる「強い人達」ではないかと私は考えている。だが、彼らとて万能・無敵ではない。

 そしてリスクを取らなければ、日本だけが経済成長で取り残されてしまい、結果として貧困層、若年層がその煽りを受ける(円安物価高、派遣切り等々)のは自明である。

 前述の通り人口構成上、この国の総意は他国対比でリスク回避的に走りがちで、特にリスク回避的な属性を顧客として持つマスコミや一部政治家はそちらに流れてしまう。だがそれに流されていると中期、長期の目線では良い結果をもたらさない、と言えるだろう。

薬が安全でも「安心できない」 ゼロリスク思考の危うさ:朝日新聞デジタル

 

 この観点からは、毀誉褒貶あれどGotoキャンペーンは方向性としては正しかったと言えるだろう。また、リスクの大きさを無視して炎天下などでもマスクを強制する行為は、正直リスクとリターンの議論を無視していると捉えられる行為であり、「腹落ち」しにくいことから一部を除いた人々にはあまり好感されないものと思慮される。自分が汗ダラダラでマスクを外したら睨まれるのに、夜の公園で堂々と酒盛りをしている集団を見て、心を乱されない、というのは大変むずかしいことはわかると思う。

 

たちの悪い2つの”困ったちゃん”たち

 更にここでたちの悪いのが、「モンスタークレーマー」という暇人だろう。

 彼らは強い人ではない、商店などの店舗にその矛先を向ける。極めてパワーの有る一部を除き、ゼロリスクという同調圧力に抗える小売店などほとんど無く、多くはマスクが不必要であったとしてもその要求を飲まざるを得ない。そしてそれが逆に、闇営業という逃げ道を生んでしまっている。

 ゼロリスクは美しい。お客様のために、従業員のために、最大限の配慮。

 だが、それが極めて大きな同調圧力を生んでいることは事実だろう。

 ゼロリスクとカスタマーファーストが生んだ現象である。こうして一人で買い物に出かけたり、黙々とフリーウェイトをこなしたり、真夏に会社に行く時にマスクが半ば強制されているのである。

 

 更に更に問題をややこしくしているのが、自主解除をしているような人が「アレ」だったりすることで、本来反マスク親ワクチンであれば責任を取り主張もしておりバランスが取れているのだが、そうではない人も多く、そうした人々との「仲間」と思われる別のリスクが浮上してきているのもまた厄介な話であろう。

 

まとめ

 まとめると、ゼロリスク信奉者とそのフォロワーが問題を大きくし、ソレに対抗できない産業を巻き込んだ一大ムーブメント、これが何処でもマスクを着け続ける羽目になっている理由である。

 そして日本の人口構成上、こうしたムーブメントへの対抗は極めて重要だが困難である。原発は止まり続け、HPVワクチンは抹消され、米欧でよく見かけるキックボードも殆ど走っていない。

 少なくとも非力な個人が取れる選択肢は殆どない。政治参加その他で声を上げるくらいだろうか。

 

もうゴールしてもいいよね

 この時期はマスクをしたほうが快適だったりもするが、クレーマーやゼロリスク主義者に対抗するためにも、「一人での買い物やすれ違う程度の人がいる場所での街歩きならマスクしなくてもいいよ」みたいな発言があってもいい場面ではないかと思うが、どうだろうか。やはり難しいか…

 

 いやまだまだ足りない、という意見もあるだろうが、ここ最近の人出を見ると、少なくとも都民は相当我慢していたのではないかと思うし、その成果が足元の感染者数の縮小につながっている部分は間違いなくあると思う。ある程度許してください…残業後にお酒飲みたい。

 

 あと言いがかりにはなってしまうが電車とスポーツジムはマスク強制させるのであれば今まで以上に冷房を強くしてもらえませんか?というお願い。彼らもここまで続くと思っていなかったんだろうけどね。

 

震災とコロナ禍で感じたこと

 私は宮城県出身なのだが、震災のときの東京での「自粛ムード」をふと思い出した。

 あのときも何故かはしゃいではダメといった空気になり、逆に家族や親族が被災した身として、申し訳ない気分になったのである。なんというか迷惑をかけているかのような。人は人、自分は自分で良いんですよ。是非お花見でも旅行でも行ってください、と心のなかで思っていた。九州や沖縄の学生の卒業式が中止になるのも心が痛んだ。それは学生さんにとって余りにも理不尽なんじゃないのかと。

 

 今も小学生は「黙食」を強いられているが、彼らはソレに反抗する権利すら無い。異議どころか質問さえも許されないかもしれない。それは彼ら彼女らがいい子である証左だ、大人より良くできているなんていうのは詭弁である。今でこそ良いのかもしれないが、そうした「抑圧」が不合理不条理の学習へと繋がり、社会への無力感に繋がってほしくないと一人の大人として憂慮している。自分なりの答えを考えさせ、意見を言うだけでもさせてあげてほしいなと思う。

 

社会からの緩やかな撤退戦

 私はこの2回の出来事でこの国やマスコミ報道その他に疲れ切ってしまい、社会への参加意欲はほぼ失っており、資金を確保して社会と距離を置くことを第一義として生きるような人間になってしまった。こんな人間がたくさん出てきてしまうのは大人としてまったくもって嬉しくない。

 

 同調圧力に馴染めず中学生時代が最も嫌だった性格上、もうこの国で楽しく生きることは諦め、可能な限り人から距離を起き、おとなしく過ごし、海外旅行やリタイヤ後の生活を楽しむ方に力点を置こうかなと考えている。日本が衰退したとは言え、ある程度の経歴と自律的なマインドさえあれば、途上国の人々よりもよほど資金的には余裕ができることに変わりはないと思う。

 

 当座は自宅と自家用車の購入、辺境の土地(逃げ場の確保)の3点を中心とし、他人との接触を回避し、自分と考えが合う人間以外との接触を減らそうと考えている。この3点では同調圧力はあまり働かない。在宅勤務も最大限使ってここの滞在時間を最大化することが、最も心の平安につながる。